痴漢問題と新聞報道とネット言説

以下の記事を読みました。

http://d.hatena.ne.jp/more_white/20090420/1240154871

http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090420/1240206976

痴漢問題になると毎回そうなのですが、痴漢冤罪のことも言いながら、痴漢でっち上げ事件のことには言及しないし、あるいは区別が付いていないのか、不思議なことです。

http://d.hatena.ne.jp/more_white/20090420/1240154871
にある「何がどうあっても悪いのは痴漢です」というのは痴漢がいた痴漢事件での話で、その範囲内では正しいことです。はてなとかで特に問題になったのは御堂筋線でのことで、あれは痴漢でっち上げ事件です(1つの事件が明らかになったその先には、暗数の存在を考えないといけない)。

痴漢でっち上げと痴漢冤罪の違いは考えれば当たり前のことなのですが、なぜかこれを指摘する人があまりに少ない現状があります。

http://d.hatena.ne.jp/more_white/20090420/1240154871に「ここのコメント見て、うっすらと背筋が寒くなった」とありますが、御堂筋線でのブックマークコメントなどでの痴漢でっち上げと痴漢冤罪の区別がまるで付いていないコメントを読んでも、「うっすらと背筋が寒く」なりました。

痴漢問題のことを本当に考えるのなら、痴漢そのものの問題化、痴漢冤罪そのものの問題化、痴漢でっち上げ事件そのものの問題化を阻んではならないということです。はてなでは、痴漢でっち上げ事件の問題化をするのに抵抗がある人が多いのでしょうか。それは痴漢問題をいい加減に考えているからです。

痴漢でっち上げと痴漢冤罪の違いにあるように、新聞各社の報道姿勢では痴漢冤罪と痴漢でっち上げを明らかに区別して題名を付けていますが、ネット言論は痴漢問題でも極端に揺れています(不快感主義ですね)。

「痴漢でっち上げ事件なんて極々例外の都市伝説」とか、「痴漢でっち上げ事件を考えると、痴漢痴漢と騒ぐ女たちが悪い」とか、こういう極端なネット言論と新聞各社の報道姿勢との開きがあまりにありますね。

痴漢問題を考えると、新聞各社の報道姿勢に比べて、ネット言論の極論さが目立っていますね。

http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090420/1240206976にある性的なことがらについては、

性的なことがらでの男女の非対称性についての俗説の誤りは、以下に書きました。

http://www.shisokan.jp/hansei-joseigaku/onna-koshincho/

これはものすごく単純に言うと、藤本由香里『私の居場所はどこにあるの?―少女マンガが映す心のかたち』に、少女漫画の高身長描写の指摘が一切ない(一切ないのに優れた文献と言われているすごさ)のでその批判をしながら、女たちのセクハラ暴力性の無問題化を問題化しているものです。